−第22章− ウズリとの別れ


2000/9/6
ウズリとの別れ その1
暗い話なので書こうか書くまいか悩んだんですが、当時掲示板を見なかった人には解らない話なので、やっぱり書いておこうと思います。暗い話が嫌いな方は上の題名でだいたい予想は付くと思うので飛ばしてください。

ウズリはご存じの通り、このホームページの主役、スターでした。ウズリの飼育をしていくことによって、いろいろなことがわかり、みなさんとも知り合えたわけです。私もウズリを溺愛し、彼が最もいい環境になるようにいつも考えて暮らしてきました。水槽の大きさ、濾材の量と種類、濾過方式は上部と底面の2種類にして、濾過漕の中もエアレーション、水換えは週1回1/3、ウール交換は月1回、餌は少な目に。

ウズリも70cmを超え、水槽も一応手を加える必要のないところまで完成し、あとは水換えと餌をやるだけの平穏な毎日でした。夏になって、昨年と同じように人工飼料を残すようになりました。ヒカリクレストカーニバル、キャット、プレコ、コリドラス、テトラドログリーンなどなどいろんな餌をやってみましたが、あまり食欲がないようです。そこで昨年はよく食べたメダカや子赤を入れると、ドンドン減っているようなので、この時期は生き餌にしてました。

8/19土曜日の朝、その日はdolloiさん達がうちに遊びに来てくれる予定でした。いつものように水槽を見に行くと...ウズリが逆さまになって沈んでいます。前の日は悠々と泳いでいたのに。そんな姿を見たことのない私は、何が起きたのかよくわからないといった感じで固まってましたが、すぐ思い直して、水槽の蓋を開け、両腕を水槽に入れ、ウズリを動かしてみました。濾過漕から落ちて来る水流に当ててみたりもしました。やはりぴくりともしないウズリを感じ、死んでしまったとやっと認識しました。妻を起こし、事情を説明し、二人で水槽から取り出し、死んでしまったことを再認識し、大きなビニール袋に入れて、冷凍庫に入れました。

死因として考えられるのは
(1)生き餌が内臓に詰まった、腐った。
(2)生き餌から何か病気が移った。
(3)前から病気だった。慢性的な疾患があった。
ぐらいです。

水質も検査してみましたが、pHは6.5ぐらい、亜硝酸は検出されずでした。同居の金魚はその後も問題なし。餌はずっと少な目に与えていたのであげすぎということもなく、スマートな体形でした。

最愛の肺魚を殺してしまったという罪悪感でいっぱいでした。よく「☆になった」とか書いてあるのを見かけますが、死んだ魚は決して☆になんかなりません。「魚を殺してしまった」それだけです。 また人にいろいろアドバイスもするようになっていたのに、亜成体のエチオピクスを殺してしまったら、もう何も言う資格はないので、ホームページを辞めようかと考えたり。もともと飼っている生体を増やすと、それだけそれぞれの個体を観察する時間が、つまり愛情を傾ける量が減ってしまうので、増やすのにはずっと批判的でした。その信念を曲げて、ドドドッと増やしてしまったのがいけなかったのか。 後悔、反省、寂しい、悲しい、もうホントいろんなことを考えました。

とてもネットでいろんな話をする気にもなれず、かといって黙って失踪するわけにもいかず、掲示板で死んだことだけご報告しました。それを読んで続々と励ましの言葉を書き込んでくださったみなさんのおかげで少しずつ「肺魚な生活」を閉めてしまってはいけないかなという気になってきました。

ウズリが死んで1週間が経ち、気を紛らわすために行った爬虫類ショップで、最近ちょっとだけ親しくしてもらっている冨水さん(アクアライフの古代魚の飼い方でおなじみの)にお会いしました。そこでエチオピクスが死んでしまって落ち込んでいる話をしました。そして長い時間お話しする機会があり、その後お別れしてからだんだん元気が出ている自分に気付きました。冨水さんとの話の後、私が行き着いた結論は、「みんなたくさんの失敗を経験して、詳しくなっていく。」「肺魚初心者なんだからまだまだ経験が足りない。」「肺魚道を極めるなら、肺魚の死は必ず付いてまわる。」「また挑戦してみよう。」ということでした。この意識革命を及ぼしてくれた冨水さんにはとても感謝しています。

そんなこんなでだんだん暗い気持ちも少し晴れてきて、ホントに心配してもらってしまったdolloiさんに電話で話をして(二人とも最初は当たり障りのない話をしちゃったりして)、その後はみなさまご存じのように掲示板でご挨拶をしてから、ウズリとの決別の意味も込めて表紙を変えたのでした。

ご心配をかけ、励ましていただいたみなさんにも大変感謝をしています。ありがとうございました。まだそういう気持ちにはなれませんが、またいつかエチオピクスに挑戦したいと思います。

 

ウズリとの別れ その2
気持ちの上で、ある程度踏ん切りは尽きました。しかしまだ物理的なお別れが済んでないのでした。まず水槽です。ウズリ用にじっくり整えてきた120×60×60の水槽。これをどうしたらいいのかいろいろ考えました。一応私の水槽なので、ルビーを泳がせるという手もあるのですが、いくらなんでも大きすぎる気がします。セパレーターで分けて、ゴンと一緒に飼うという手もありますが、いつかセパレーターを越えてといった事故が起きそうです。またはいつかエチオピクスを飼い始めるまで、キープしておくということも出来ます。結果的に選択したのは、ビッキー(ドロイ)に水槽を譲るということでした。

ご存じの通りビッキーは妻の肺魚です。うちに来た1番最初の肺魚なのですが、50cmになったぐらいから成長も止まってしまったのをいいことに、「いつか90cm水槽に移してやる」、「亀之介の水槽が空いたらおまえにやる」と言いながら1年間60cm水槽で爆泳してもらってたのでした。そして将来も含めて、今のところ一番大きい肺魚です。だからやっぱりビッキーの水槽にしてあげるのが一番だという結論に達したのでした。

しかしそうとは決まってもこの間までウズリが泳いでいた水槽に、ビッキーが泳いでいるのを見るのはつらいものがあります。心の準備が出来るまで、ビッキーの引っ越しはしないでおこうと思っていました。それまでに濾過漕を掃除して、環境を再度整えて、ビッキー引っ越し用の器具を整えて。

ウズリが死んで、1週間と3日。会社から家に用事があって電話をすると、妻が「今大変なの」「何が?」「金魚がなかなか捕まえられなくて」「?」「なんで金魚を捕まえてるの?」「ビッキーが嫌そうだから」「どの水槽の話をしてるの?」「120cm」「...」そう、妻は私の気持ちも知らず、ビッキーを引っ越しさせていたのです。ちゃんとちょっと待っててねって言っておいたのに...

家に帰ってもとてもその水槽を見る気にもなれず、そのままベッドに入って寝込んでしまいました。2日ほど経って、ようやく大きな水槽で悠々と泳ぐビッキーの姿を見て、「よかったね」と思えるようになりました。まあ、妻の強制引っ越しがなければ、ずっと先送りになっていたでしょうから荒療治も良しとしましょうか。

もう1つの問題がウズリの死体です。解剖してもらうために冷凍庫に入れたのですが、まだそのままになっています。とても宅急便で(dolloiさんのところに)送れませんし、その前に取り出す勇気がありません。このまま永遠に冷凍庫の底に置いておくのでしょうか?剥製にしようかとか、骨格標本を作ろうとか、ホルマリン漬けにするとかいろいろ考えましたが、やっぱりとりあえずまっぴいさんが(解剖するために)取りに来てくれるのを待つことにします。

 

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